・日本

私のお母さん。

 

 


メリークリスマス!!!ヽ(*^^*)ノ

 

 

 

クリスマスですね。
あー、ヨーロッパ行きたい・・。

 

 

さてと。

 

 

 

早っ!

 

 

 

言ったでしょ?

 

 

 

私は、

ダメとわかったら諦めまでの思考チェンジが猛烈に早いと・・。

 

チクショー!(´;ω;`)笑

 

 

 

 

 

本日は、

ついにやって参りました。

 

 

 

私の故郷、青森県。

 

 

 

ですが、
私の地元は、弘前市。

 

 

 

 

 

故郷とは言え、
ゆっくりするつもりはなく、

 

夜、実家に着き、
朝、家を出る、

 

という
たったの12時間程度の滞在でした。

 

 

 

 

母には青森に着く前の日に、

『帰るね。』と連絡し、
『えー!!あんたいっつもギリギリ!!』

と毎度のごとく叱られるのです。笑

 

 

 

 

日本に帰国して久しぶりの実家。
一年半ぶりかな。

 

 

今回、無理に実家に帰る必要はなかったんですが、

姉が去年、結婚して赤ちゃんを産んだので、
どうしても赤ちゃんに会いたかったのと、

 

一応、ただいまの報告で実家に帰りました。

 

 

 

 

母に迎えに来てもらい、
『ただいまー。』と久々の再会。

 

その足で、姉夫婦と旦那さんのご両親が住んでいるおうちへ直行しました。

 

 

 

去年生まれた姪っ子は、
もう1歳半。

 

 

 

とにかく落ち着きがなく、
このときは、

 

ひたすらみかんの皮を剥いて、私に差し出してきた。

 

 

 

走り回るの大好き!!

 

座ってられない、わんぱく娘に
姉は手を焼いていました。

 

 

 

 

でもとにかく可愛い。

可愛いすぎて、ムツゴロウみたいに全力よしよししたくなる(*´ェ`*)笑

 

『おねぇちゃん、お母さんになったんだ~。』

 

 

 

 

変な感じ。

 

 

仕事と両立している姉は、
残業などで遅くなる事もあるため、

そんな時は、旦那さんのご両親に見てもらってるんだとか。

 

 

 

旦那さんのご両親、
溺愛してるのが、よく伝わってきました。笑

 

 

ほんの1~2時間、
お邪魔した後、すぐに実家に帰りました。

 

 

 

 

実家と言っても、
実は私の今の実家は、おばあちゃんち。

 

 

 

中学1年生の頃、両親は離婚。
母は私と姉を、女でひとつで育ててきました。

 

その後高校を卒業して、私は函館へ。
姉は一人暮らし。

 

母も一人暮らしでした。

 

 

 

 

その後、

 

私が短大を卒業して、横浜に引っ越す、という時に、
母方のじいちゃんが亡くなりました。

 

 

 

小さい頃、両親が忙しく
よく、じいちゃんに預けられていた私は、

大のおじいちゃんこでした。

 

 

 

すごくショックだった。

 

 

 

じいちゃんが亡くなった後、
残されたばあちゃんの世話をするべく、

母親と姉は、
ばあちゃんちに引っ越しました。

 

 

 

 

うちのばあちゃんは、要介護。

 

 

 

 

血の繋がってる自分の母親でも、
精神的に参ってしまうくらい、本当に大変だという介護。

 

 

 

 

母に自由な時間はありませんでした。

 

 

 

 

 

そんな生活が数年。

姉は結婚し、家を出て
今は、母とばあちゃんの二人暮らし。

 

 

 

母親の苦労は計り知れない。

 

 

 

 

 

 

そんな母を持つ私ですが、

私は昔から、とても冷めている子どもで、
学校であった出来事など、一切話さない子どもでした。

 

 

『今日学校どうだった?』
と聞かれても、

 

 

『うん、普通。』
で済ます、

 

 

反抗期がずっと続いてるかのような冷めたガキ。笑

 

 

 

 

 

父親があまり好きじゃなかったので、

離婚、と聞いたときは
泣きながら止める姉とは真逆で

 

 

心から嬉しかった。

 

 

 

 

やっと終わる。


この生活。

 

 

 

 

ケンカの耐えない生活が本当にしんどかった。

夜、怒鳴り合う両親の声に
泣きながら耳を塞ぐ生活がやっと終わる。

 

 

 

そろそろだろう、と思っていた頃に聞いた離婚。

全然驚かない私に、両親は驚いたかもしれない。

 

 

 

でも待っていたのは
想像を超える辛い日々でした。

 

 

 

言っても私は中学一年生。

 

 

 

思春期真っ只中な私は、
親が離婚した、父親がいない、なんてこと、

友達には絶対言えなかった。

 

 

 

中1の秋、転校もした為、
すでに仲良しグループが出来ている輪の中に、

突然の転校生・・。

 

 

 

そとづらは良いので、
それなりにクラスのみんなと仲良くなったし、友達も出来たし、イジメとかそんなのは無かった。

 

 

 

でも、

 

 

 

全っっ然楽しくなかった。

中学3年間。

 

 

苦痛でしかなかった。何もかも。

 

 

 

 

 

唯一全てを忘れられる時間が
水泳で死ぬほど練習している時。

日々の苦痛に比べたら
練習の苦しさなんて何でもなかったから。

 

 

 

 

そんな中学時代を過ごした私も、
高校生になり、考え方も大人になって、

毎日楽しく過ごすようになりました。

 

 

 

なんであんなに思い詰めてたんだろう、
というくらい、いろんな意味で転機がきました。

 

 

 

反抗していた母に、

感謝する気持ちが芽生えてきたのもこの頃。

 

 

 

 

 

高校を卒業した後、
田舎では当たり前のように就職するのですが、

私は無理を言って私立の短大に入学。

 

 

高校から借り続けている奨学金をもらい、
アルバイトで生活費を稼ぎながら学費を払ってもらった2年間。

 

 

無事、就職も決まり
憧れだった関東に配属になった私は、

 

母に感謝せずにはいられませんでした。

 

 

 

 

初ボーナスで買ったプレゼントを
母に渡したり、

誕生日に欲しがってたものを送ったりして、
感謝を伝えました。

 

 

でも現段階では、

 

 

こういう、『もの』で感謝を伝えることしか出来ていません。

 

 

 

 

元々、あまり親に何かを報告するとか、
相談するとかが、一切なかった私は

大人になってからも変わらず。

 

 

 

『世界一周行ってくるね。』

 

 

 

と言ったときも、
母は驚いたけど、何にも言わなかった。

 

 

 

 

海外にいる時も、
干渉されたり、気にされるのが好きじゃない私に連絡が来るのは、

2ヶ月に一回、あるかないか。

 

 

『生きてんの?』

『あんた、今どこにいるの?』

 

 

 

返信は大体、

 

 

『生きてるよー』

『今アフリカ。』

 

 

 

親不孝もひどいでしょ。私。
なかなかこの性格が直らない。

 

 

 

 

 

タイで入院した時は、

『あのとき、お母さん大変だったよ。』
って
今回帰った時に初めて聞いた。

 

第三者から。

 

 

 

こんなに心配なのに、何も出来ない。
って、気が気じゃなかったらしい。

 

 

 

 

ブログの存在も教えてないから、
私がどこで何してるのか、全然わからなかった母。

 

 

 

私が世界一周に行ってる間、
毎日、じいちゃんの仏壇に手を合わせて

『りのをお守り下さい。』

 

ってしてたんだそう。

 

 

 

 

そうなんだ・・

私、そんなに心配されてたんだ。

 

 

 

 

母には本当に苦労させたし、
ものや言葉でありがとうを伝えても、

頻繁に帰ったり、
一緒にいる時間を作ったり、

 

そういう親孝行がまだ全然出来てません。

なんなら、

また海外行こうかな、とか言ってるし、
自分の好きなことばっかやってる私。

 

 

 

せっかく生まれた孫の顔も、
仕事や、ばあちゃんの介護が忙しく

全然見に行けないんだそう。

 

 

 

そんな母に、

どう恩返しをしようか、
ずーっと考えていましたが、いまだわからないんです。

 

 

たぶん照れもある。

 

 

こんな自分を変えたいな。
と思っていたけど、何も変わらず帰って来ちゃった。

 

 

 

 

ごめんね。お母さん。

 

 

 

 

なんてまとまりの無い日記。。

 

 

 

 

私の親不孝ぶりを、
カミングアウトしたいわけじゃなかったんですが、

実家に帰って、
いろいろ感じることがあったので、こうして日記に書いちゃいました。

 

 

すみません。

 

 

 

 

こんな私ですが、

 

実は、もう10年くらい前から夢があるんです。

 

 

 

 

 


母親におうちを建ててあげる。

 

 

 

 

 

結婚して、リンゴ農家に嫁ぎ、
離婚後、3人でアパートを借りて、

今は、ばあちゃんの介護をしながら狭いおうちに暮らしてる。

 

 

 

働きづめで、
時間も居場所も少なかった母親に、

のんび~り出来るおうちを建ててあげたい!!

 

 

 

本当だったら、
新しいパートナーでもいてくれれば、寂しくないんだろうけど。。

 

 

 

 

いつかの夢です。

 

 

 

私が仕事で成功して、
年収2000万を稼ぐようになったら、笑

一番に母親におうちのプレゼント(*´ェ`*)

 

 

 

別にそんなの母は望んでないかもしれないけど、
ずーっと昔からの私の夢。

 

 

 

と、

 

 

 

ぷーが申しております。

まず働け!!私!!笑

 

 

 

 

 

てことで、
会いたかった人、
54人目、お母さん。
55人目、おねぇちゃん家族。

 

 

 

 

また近々帰ります!
お母さんもおねぇちゃんも無理しないでね。

写真これ!笑

 

 

 

ではっ!